千里山西3 宅地造成開発トラブル

吹田市千里山西3丁目の山頂付近のライブエステート社による14区画の造成開発トラブル

(三本松の自然・たぬき山)

▲三本松の自然・たぬき山

今回の開発現場では、うぐいす、ふくろう、きつつき、タヌキ、アライグマ、イタチ、ハクビシンなど自然の中で生きている動物や野鳥も数多くみられ、 一部開発されている垂水神社と合わせ、野生動物たちの楽園となっています。

2017年夏には子狸4匹を加えたホンドタヌキ6匹が生息しており、その以前も家族たぬき(通常4~6匹)が毎年夏の深夜、観察・目撃され、近隣の畑を荒らす時もありました

2018年5月28日撮影 たぬき

2018年5月28日撮影 たぬき

2018年5月28日撮影 たぬき

2017年1月には、ふくろうが隣家のネットに絡まっていました。大きさとかわいさから、まだ幼いフクロウだと思われます。


バブル期(1990年頃)までは、この山に野ウサギが多く生息していたとの情報もあります。

千二小(千里第二小学校)では、1970年代頃まで、「うさぎ狩り」と言う年間公式行事があり、その遠足行事では捕獲した野兎を「うさぎ汁」にして、皆で食べたとのことです。

『吹田第三小学校創立50周年記念誌』には、兎狩りの写真(場所不明)も掲載されているようです。


別の方より、「昔、キジも住んでいたよ」との情報も頂きました。「たぬき鍋」「たぬき汁」、「うさぎ汁」の次は「きじ鍋」、紙幣にも載っている日本の国鳥 雉を食べていたそうです。



また、三本松より80m南南西に下がった尾根上(標高76.8m付近)には大量の古墳の石室の残欠と思われる出土品(赤色顔料を塗布した板状石)が発見され、大型の前方後円墳の存在が推定されたことより「垂水西原古墳」(古墳時代前期)と命名されました。

この古墳は、四世紀に造られた大型の前方後円墳とする見方と、もう少し降った時代のものとする見方がありますが、発見以前の造成工事により墳丘がほぼ消滅しており詳細は分かっていません。

弥生時代、当地域南側の丘陵に垂水遺跡集落があり、さらに南には、垂水南・五反島遺跡・蔵人遺跡等の古墳時代の集落遺跡もあり、当地を弥生時代から古墳時代にかけて支配した人の墳墓として「垂水西原古墳」を築造したものと推定されています。

この三本松・垂水西原古墳一帯は、古墳時代に垂水に住んでいた氏族の祭祀の地とされ、故池田半兵衛氏は、垂水公阿利真公の墳墓と推定しています。しかし、この三本松の古墳は、1974年2月の造成工事によって破壊されました。




▲2018年7月1日のポンタ

2018年7月1日撮影 たぬき2018年7月1日撮影 たぬき2018年7月1日撮影 たぬき032018年7月1日撮影 たぬき2018年7月1日撮影 たぬき

壁に激突し、気を失ったメジロの子供(小鳥)

2018年6月2日撮影 目白


▲2018年5月28日のタヌキ

「大きい方のたぬきは、メスで妊娠しているのではないか」との連絡をもらいました。
タヌキは、通常、夜行性ですが、春の繁殖期から子育て期は、日中に出没し、摂食採食(餌探し)します。毎年5~6月に4~6匹(最大19匹)出産し、1か月間の授乳後、秋まで親子での行動です。

また、写真の仲良し度合を見ると「一生添い遂げるタヌキ夫婦」の出産前の付添行動ではないかとの事です。超臆病で、一途な純愛タヌキカップルでした。

2018年5月28日撮影 たぬき2018年5月28日撮影 たぬき2018年5月28日撮影 たぬき032018年5月28日撮影 たぬき2018年5月28日撮影 たぬき2018年5月28日撮影 たぬき


▲2018年4月23日のタヌキ

2018年4月23日撮影2018年4月23日撮影 たぬき

2018年4月23日撮影 たぬき03








<出典:柴田昭彦氏著 旗振り山 ナカニシヤ出版>
<出典:柴田昭彦氏著 新ハイキング 別冊 関西の山>
<出典:柴田昭彦氏著 歴史と神戸>
<出典:吹田市立博物館 歴史散歩 垂水地区> 
<出典:千里山ホームページ 三本松/五里山/垂水西原古墳>

<出典:千里山史探検隊 吹田市史第七巻 佐井寺村村史>

なお、旗振り通信については、綿密かつ徹底した調査と口コミ考証に基づいた『柴田昭彦氏著 旗振り山 ナカニシヤ出版』をぜひご一読して下さい。とても素晴らしいロマンが、足で集めた情報に基づいて掲載されています。



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